. 「生まれようとする心」は誰の衝動でも無く、それそのものである。
. しかるに君が、君の容姿やちょっと不遇な人生を嘆き、その出生を酔っぱらって帰っ
て来たおやじの蒔き散らした、一億とも二億ともいわれる精子のせいにするなかれ。一
億人に一人の生死の確率を勝ち抜いてまで、外へ飛び出したかったのは君の意志であり
、それを突き動かしたその奧のそれである。
. そういう意味では人はすべてが超エリート、奇跡そのものといえるのだが、この名誉
をかなぐり捨てて、死を自ら選ぶのはいかがなものか。殺して来た一億の兄弟達の出生
の可能性に失礼というものである。ちょっと襟を正して考えて欲しいものである。
. 早まらなくても「Google Earth 」で世界をミサイルのようなスピードで飛びまわる事
の出来る、僕らはすでに霊体なのだ。
. これを書いている時(070201)にも横須賀で中学生が一人自殺している。そもそも
子供が自殺しなければならない世の中とは、いかなるよこしまな世の中か。
. 政治的白痴化もすべては一党独裁を許し、いいとして来た脳天気な僕ら国民のせいと
も言えるのである。
. 親の狂気はまっ先に子供に伝染する。子供は親から逃げる事はできないから、しかた
なくその家庭病棟で自分の廻りに点線を引いて過ごす事になる。幸せそうに見える家庭
も崩壊と表裏一体である。家庭の病理は地域へと拡大する。
. 色々な所へ引っ越した経験のある方は御存じだと思うが、地域にはそれぞれの病症が
ある。一目ではその表象は分らない。しばらく住んでみる必要があるのだ。ただ通り過
ぎるだけでは、世界の観光ポイントにせっかちに点々と行って、世界を知ったように思
っている人と同じで、知るためには「Google Earth」のようにまず俯瞰し、局所に降り
ていかなければならないだろう。そこで襲って来るすんでのところで避けなければなら
ない、電光石火のような黒い影のようなもの、昔からそれは地縛霊として結晶化し知ら
れて来た。それらは地域独特の神話や妖怪を作り出し、団結して国の無意識へと昇格す
る。国家にも「自我」というものと「自己」というものがあり、ピュアな自己は人間の
無意識領域と同じで、深いしわの中に隠されたままである。
. 戦争は国家的自我どうしの争いの執行であり、自己どうしは本質的に和解している。
深みにある国家自己は最も浅いところの人民の真心と直結しているのだ。
. このサイトは解析すると中国からのアクセスも多い。中国人民に不快感を与えるつも
りはサラサラないが、中国やインド、パキスタンでは内戦状態にあるチベットという言
葉自体が禁句、施錠されている。あまり日本人としてこれを強調し、話題として粘り過
ぎるとビザがおりなくなる可能性もあるようだ。
. 普通の日本人はネパールもブータンも、チベット区もインドの上の方の国と言う位の
認識しかないが、この政治的不安定なあえてちっちゃいとはいえない地域、日本の二倍
ほどもあるアイデンティティーのチベット地域は「世界の屋根」といわれ「世界でもっ
とも美しい場所」である。
. だが、明日の政治的テリトリーがどうなっているかは分らない。僕としては政治性を
抜きにしてこの地域の美を「Google Earth」を使用して強調していきたい。ありがたい
事に今はこれで、あらゆる危険地帯をヘリコプターでいとも簡単に移動する事が可能に
なったかのようだ。
. 政治は早々と劣化するが、美は生き残るだるうから。
.
.
. だが僕らの国も利口そうな事は言えない。子供の不幸の元である親の自殺や離婚のお
おかたの理由は風采のあがらない親の負債であるが、資本主義先進国では借金が簡単に
出来るので、多数の国民が飢えている事すら分らないだけである。
. 借金のないシャッキとした資本主義国家や企業体自体が少ないという事から見ても、
資本主義自体がいずれは破綻するという事は目に見えている。その前にはったり理想主
義的共産主義も、人間の自然な欲望を無視し過ぎて、すでに虫の息だ。
. 新しい第三の政治イデオロギーも、今だ水平線上にマストすら見えない。ばったりと
理想経済の探究は途絶えてしまっている。しょうがない、待つとしようか。
.
しかしその無意識は「生まれよう、生まれよう」として形にならない領域で待ち構え
ていて、いずれは突然、よーいどんで生まれて来るのだ。
. ここでのテーマである「共時性」も、この「生まれようとするイメージ」の「自らに
よる現象化」とも考えられるのである。あらゆるイメージは不断に「何時か生まれよう
、何時か生まれよう。」としているかのようである。それが偶然、人の精神イメージに
現れたものだったから、共時性と札が付けられただけの事で、共時性と言われる以外の
普段の現象というものが、人間以外の無意識から発せられたイメージの共時性かも知れ
ないのだ。
. 繋がれた犬はいつもドッグフードだけではやり切れない。何時かは野生の肉を思いっ
きり喰ってやせ犬の汚名を返上してやろうと思っている。と、そこへ空から死んだカラ
スが落ちて来る。という落語のような事も起っているかも知れないからだ。
.
. ユングはアインシュタインや物理学者ボアとの昼食の同じテーブルで、原子核の破壊
される時の膨大なエネルギーの話しを横で聞くとも無くボーッとして聞いていた時に、
物質がもしそうであるならば、僕らの精神領域でもそれと同じような事が起こりうるだ
ろう事を直感していた。
. ユングはそれを共時性の起る理由として仮定して研究診療を続けたのである。
. 僕はこれは東洋でいう「悟り」の自我破壊に最も近い概念ではないかと思っている。
「芸術は爆発だ」と言ったのは岡本太郎だったが、「悟り」の本質こその爆発の元だろ
う。
. 芸術作品とは作り手の方から見ると、一種の箱庭療法で、いつも醜い自我、売れよう
とか、上手く見せようだとか、センスがいいとか、知的だと言われたいとか、身に付い
たクセが現れてしまう己の表現との格闘技でもある。
. 岡本太郎が分かりやすく言っている「爆発」とはこの「卑しい自我」を自爆させる事
による社会的な自己革命の事である。個人の革命は連鎖してしばらくすると、社会的革
命へと拡大するだろうから。この元ネタは実は東洋的に研ぎすまされて来た「悟り」と
いうものなのだ。
. ユングは「原子内の核」を人間の無意識領域の「ピュアなセルフ」と同定していて、
自己が存在する領域は、元々自然と僕らが繋がってしまっているエリアで、この「悟り
としてのセルフのとてつもない自爆的爆発」が起きる事になるエリアでもあり、共時性
はセルフに何らかの力が働きかけた事が原因で引き起こされる現象だろうと、夢想して
いた。
.. ここまで書いて来てこういう言い方は卑怯かもしれないが、これらはまったくの仮説
であるので頭から信じない方がいいが、個人的に僕が確信しているのは「悟りとしての
セルフの自爆説」と「あらゆる日常の共時性的本質」という隠してもしょうがないだろ
う自説である。
. しかし気をつけなければならないのは、「悟りとしてのセルフの自爆」は自殺や自爆
テロの爆発ではない事だ。
. 悟りは己が消えてしまう事ではなく「個性化の完成」の成果だ。
. エゴでも無我でもない真空に波乱万丈で向かい立つ事だ。
. それこそ「有を孕んだ無」に中立する事なのだろう。
. やはり、それは所詮「なんちゃって」なのだ。
. 映画の中で少女ジョゼも言う
.
. 「いつか、あんたがおらんようになったら、迷子の貝殻みたいに、ひとりぼっちで海
の底を コロコロ、コロコロ転がり続ける事になるんやろ? でもまあ、それもまたよ
しや。」
. たとえ、夏の日に少女である意味が試されるとしても、中立的達観を忘れる事なく、
. 「汝、自殺するなかれ。」
.
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