. ゆうべの夢のような話しばかりせず、堅実な現実を見ろという声が聞こえて来る。
. いっている現実とは、夢とは不釣り合いな物理的現象の事だろう。
. それではという事で、物をどんどん細かく覗いて行くと、原子の町の景色に突き当
たる事になる。芥子の花のようなひらひらと眠れない微睡みの街並なのだ。
. 原子は電子と核で出来ているが、電子の動き方はけして地球と月のようなものでは
なく、不可解でランダムで抽象化したものである。けして捕まえる事の出来ない君のや
り切れない心のように。
. 電子はスピードと位置を一緒に観測することはできない。どちらかをえらんで観察
しなければエラーになってしまうし、粒であるとも波であるともいえる困ったものであ
る。君がナイフを後ろに隠し持ちながら大人にお辞儀しているのと同じである。
. 電子の軌道の直径をサッカー場位の大きさとすると、核はその中心にある胡麻位の
大きさだ。
. その核は中性子と陽子という核子といわれるものを隠している。これらは核と電子
の結びつく力の数万倍の力でくっ付きあっている。肉体的契りが強いのだ。なかなか千
切れない。離す時ににそれは大輪の心中の花火となる。これを人工的にバラすのが原子
力発電や原爆のメカニズムである。
. 中性子は電荷が0で陽子は+1であるため、+の核は外の電子の-と引き合ってバラン
スしている。陽子の数は原子番号の数によって増えて行く。陽子と中性子は電子と同じ
数でバランスしている。電子は核の廻りを夜間飛行の両手を広げた飛行機のように、ふ
らふらと管制塔の上を旋回している。いやいや、UFOのように現れたり、消えたりしな
がらの神出鬼没なやっかいな飛行なのだ。
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. 中性子と陽子の奥にもクオークという素子がそれぞれ3つある事が今では分っている
が、クォークエネルギーの物理的実験測定データは今の次点(0701)では途中までし
かわからない。測定するには冥王星軌道の大きさの実験装置がいるからである。
. このクォークの中にもまだ素子があることが計算上分っている。話題だけが先行し
ている「超ひも」である。ひもには二種類があり輪っかのような閉じたものと棒状のも
のである。これがブルンブルンと回転している。
. 分ったような事を少し並べさせてもらうと、物質が細かくなるという事はその空間
も小さくなり、その世界の時間も細かくなると言う事である。ひもの世界は細かすぎて
アインシュタインの定理(空間が物質の影響で歪む)が通用しなくなる。細かすぎて、
でこぼこの空間が摺ガラスのような細かなでこぼこになってしまい、でこぼこの意味を
なさなくなるのだ。
. これ以上進むともう終りになる。万が一、これ以上進んでも、どう計算しても、マ
ンガ的にいえば1/2をかけても2倍の答えしか帰ってこないので、計算は諦めたほうが
いいのだ。時空間がなくなってしまうからである。時空間が無いということは物理的現
実ではないということである。
. このヒモはいくら細かいと言っても、あくまでも物質であり、理論的には現実界に
寄せ集める
ことが可能である。無理に1m集めたとすると、それは10の21乗トンという地球の重さ
ほどになって、携帯できるブラックホ−ルになる。
. 電子の他にも原子外からやって来るけったいなものに、光子やニュートリノなどの
ふしぎな性質をもった量子は沢山有り、その性質は抽象的だ。抽象的というのは物理現
象でありながら、僕らには具体的なイメージが湧かないこと、逃げた鳥のように最早、
姿形がない事を原因とする。
. リアルとは何か?を一番追求している物理学者を僕らから見ると、世の中で一番浮
き世離れして見えるのは、実はリアルを追求すればするほどそれは抽象化してしまう事
による。
. リアルのギリギリのところは抽象化しており、それはつまり、物と心が同じ次元に
あるということなのだろう。これは原始時代から宗教的なるものが直感してきた次第で
ある。心は物に他ならず、物は心に他成らない。彼方には「心しかない」んだって、銭
じゃないんだって、セニョリータ。
. 僕のような素人が原子物理のことを語るのもこの事がいいたいからだ。
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錬金術絵画法による「夢に鳥と竜」
そらしま 2006年作
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. 「一体、お空をどんどん行くと何処へいくの?」と大人に尋ねて落胆した経験は誰
にでもある。子供にそう問われて躊躇した事もあるだろう。
. 宇宙もまた遠くへいけばいくほど抽象化してしまう。気が遠くなるほど遠いのであ
る。そこから見れば「ぼくらの場所」も抽象化しているのだ。
. 物質を細かく覗いて行くという事は宇宙の始まりが分るという事と同じなのだ。「
宇宙の始まりの始まり」は一番細かな物質から始まったにきまっているからだ。故に宇
宙の始まりは細かいいヒモであった事が今では分っているという事になる。独楽ではな
くひも自体が回転している世界だ。
. 今(0702)の物理学では時間も空間も同じものの別な表れ方という事になっている
。時間と空間は不釣り合いな次元にそれぞれあるのではなく、物質とは空間であり、空
間を移動することは時間がかかり、時間が過ぎる事は空間を体験する事だ。
. 今の物理学では真空という概念もまったくの無ではなく、仮想的エネルギー資源の
充満した空間である事になっている。
. 「生まれたい、生まれたいと言う心」で満ちているのだ。これは一昔前のオカルト
のエーテル概念と同じである。僕らの空間はこの「生まれたい、生まれたいと言う心」
で充満していて、冬の荒れ地も夏になれば青臭き草木生い茂り、増殖のための種作らん
と花々が高く咲き、先ほどまで吠えていた犬は静まり返る。
. マルクスとエンゲルスや日本の哲学者、西田幾多郎も「無」を思想的礎石としてい
るが、三人ともそれは「有を孕んだ無」であるとしている。この元ネタはヘーゲルにあ
る。またまたその元にはケプラーなどのいくたの錬金術的天文学との共通性がある。こ
れらの「無」と現代物理学がいっている「真空」とは同じである。それは「ヒモ以前」
である。その深紅のビッグ・バンの前に「生まれようとする心」のみがあったのだ。
つまり僕らのリアルは、僕らはこの「生まれようとする心」から発生してきたのだ。
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