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. 言い忘れたがカワズは昔は日本では虫の一種であった。江戸の図鑑「むしづくし」などに
は雫をまとったトカゲやカエルは虫としてまとまって分類されている。
. カエルといえばガマであるが、僕は大晦日の買い物のスーパーで、支払い後に財布をなく
した。廻りを探した甲斐も無く出て来なかった。落としたのかすられたのかは分らない。
3000円位しか入っていなかったが、そのチャック式ではないがまぐち自体に愛着があり残念
である。馬の黒いシッポの毛で編んだ布で出来ていて、ちっぽけなものだが8年位つかってい
ても、壊れず汚くならなかったからである。
. 僕は財布を無くしたのは始めてだったので、これは何か有ると思い、その足で年末ジャン
ボ宝くじを買ってみた。年が明けて787の大晦日ラッキー賞(10,000円)が当たったので
3000円は取り戻した。
. 雑煮には菜の花が入っていた。初風呂にも入れてみた。シャボンの上に花が浮いていた。
この何か普段とは違った事が有るという直感は一種の軽い予言だろうか。余計な事だが、僕
の家の電話番号は1187である。
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. 美術高校の教師の準備室に来ていた。僕は同窓会の帰りらしい。知り合いの上級生の女も
いて今はグッズ屋らしく商品の小物を見せてくれた。洒落た耳かきのような物だ。どうしよ
うか迷ったが、私も帰りがけに自分の作った小物を見せて彼女に売り込んでみた。摩りガラ
スのように半透明な樹脂製のカエル形をした電子蚊取り器だ。その時、大き目の地震があっ
て学校が大きく揺れた。
. 窓の外を見ると遠方の町並みの中にも壊れて行く家もある。教室は電車のように動き出した。
何処かへ逃げようとしているのだろうか?方向は分らない。僕は恐くなって、こんな時は動
かないでジッとしているほうがいいと思った。コーワといえばカエルだ。あの薬屋の前の人
形だ。ペコちゃんとは親戚だろうか? いやいや、見るからに関係はなさそうだ。ベコは牛
で首振り民芸品であり、ミルクからの連想だ。
. これは(070115)の夢である。その日は昼,テレビで津波警報が普通なら放送されている
通常番組を押し退けてNHKで放送されたので、その影響だという事には理がある。
. 次の(070116)の夜中、地震で目が醒めたが、地震が終ったのを確認してまた寝てしま
った。それが何時かも分らない。はっきり目を開けたわけではないからだ。夜だったのでテ
レビで地震情報を確認してもいない。夢だったのかも知れないし、リアルな事であるという
のには自信がない。しかしこれが本当の地震だとしたら、日常のリアルが夢に影響し、その
夢がまたリアル自身にフィードバックした「軽い正夢」なのだ。
. このノリで話しを進めると、その朝、起きてラジオをつけると、きょうは江戸で「振り袖
火事」があった日だと寝ぼけた僕の脳裏に言っている。町で見かけた色っぽい理想的若衆に
一目惚れした商家の16才娘が恋の病で死んでしまい、その形見の振り袖が次々と廻りめぐっ
た16才の二人の娘を怪死させる。これはいかんと本妙寺で供養して燃やした振り袖が元で出
火、江戸城の天守閣まで焼く、10万人近い死者を出したといわれている火事になったのであ
る。これは小泉八雲が伝説としても記録している。「八百屋お七」の役もこれを元ネタにし
ている。 しかし火は本郷 ・小石川 ・麹町 の3ヶ所から連続的に発生 しているのでテロの
可能性もあるらしい。
. 実際は老中 ・阿部忠秋 の屋敷 が火元で本妙寺がその責任をかぶったという説が有力であ
る。
「冠る」とは「お面をかぶる」、演技の事である。狂言の事であり、「歌舞伎」の語源でも
ある。
. 「歌舞伎」は普通言われるように「かぶく」、「偏る」であり、「歌とおどりと演技」で
あり、このように共時的意味の複合体言語でもあるのだ。日本語のこのような魔法は昔のほ
うがより直感的に理解されていた。この心を復興してみたいものだ。
. いずれにしろこのような共時性的因縁話しは、昔から僕らの国では小説制作のテクニック
の一種であった。文字音の連想が次ぎのセンテンスを導く。頭での苦肉の作としてだけ創っ
ていくのではなく、次ぎの言葉が「染みいでて来る」のである。「なんだシャレか」とバカ
にするなかれ、言語学者より庶民のほうが無意識的にこのことをよく知っていて、日本では
七より八の末広がりのほうが縁起がいい。庶民の文字の力の理解は、音を超えて形態的、象
形文字的理解にまで及んでいる。
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. この「そらしま」的、小説やそのサウンド・デザインやイラストの制作方法でもある「自
動書記制作方法」は、共時性、洒落を利用して体裁を整える進行でもある。
. 小説の後半からは、洒落リンクの部分をピンクの文字にして分かりやすくしてあるが、イ
ラストの場合はかなりの無駄な試作を必要とする。何かを出そう出そうとイライラすると表
れる率も低い。稽古する必要もない替りに、結構、何も表れない事も多いのである。おそら
くこれは僕の心理状態が影響するのかもしれない。
. 小説のバックサウンドの歌詞もまた、聞く者それぞれに違う意味を発信、警告している。
それぞれの心理に共時するよう作ってあるのだ。その人のオリジナルな警句となるように。
. 僕はここに取り上げた一部の絵画表現を一種の「占い」として考えていて、その方向に発
展させようとしている。僕にとって絵画は最早、芸術ではなく果てしなく神秘な「占い」で
ある。
「箱庭的個人宇宙のミクロな客観」ではなく「マクロな客観」に変換、醗酵してみたいので
ある。
. 干支のイノシシを絵として描いてその年の事件が「染みい出て来る」のを見るのである。
この絵画は売らないとは言わないが、目的はあくまで「占い」なのである。
錬金術絵画法による「イグアナ」
そらしま 2006年作
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