. 物理学者ハイゼンベルグの18才からの親友、ウォルフガング・神憑かり・パウリ(
1900〜1958)は、ハイゼンベルグの新しい量子力学の樹立を「排他原理」によって補
償している。
. ミュンヘン大学に入った時すでに二人はハイゼンベルグの研究の重要な部分に着手し
ている。
.. パウリはインテリにありがちな未熟なアニマのせいで、場末の三流ミュージッククラ
ブ歌手の女と結婚して、間もなく逃げられ、酒乱になって酒場でよく喧嘩騒ぎを起こし
、その「人生のニグレド」の時期にお母さんを服毒自殺で亡くしている。さんざんドジ
ったこの頃、パウリはユングの患者になっている。
. ユングいわく
. 「彼は知的な活動ばかりを重んじる極めて偏った生き方をしてきたが、勿論あるいくつかの欲望
や要求は持っていた。しかし女性については彼はまったくついていなかった。なぜなら彼には感情
を区分する事がまったくできなかったからだ。それで彼は女達を相手にすると直ちにばかげた行動
をしてしまい、勿論女達からすれば彼はがまんのならない相手だったのだ。」
. ユングはパウリの臨床的治療を弟子に売り渡し、自分は少し客観的にパウリの夢日記
などを研究している。そこに有名なパウリの「世界時計」のイメージを見い出して、グ
ノーシスや錬金術との共通点、「宗教的にいえば一種の改心の原理」を見い出している
。そこで今度は回復後にパウリは恩返しのように、ユングの「共時性についての研究」
を量子力学的に共同論文によって補償した。「自然現象と心の構造(非因果的関連の原
理)」である。ここでパウリは、つまりマンガ的に言えば、原子内というディスコホール
の中には量子というダンスを踊る小僧らがいて、そいつらはダンスのスタイルによって
二組の縄張りに分かれている。ナマコ(中間子)やミツコ(光子)の規則正しい踊りを
踊る「チーム・パラパラ」と、何をしでかすか分らない生々しいヒッピー(ニュートリ
ノ)、オカマ(中性子)、ヨウコ(陽子)、デンコ(電子)などの骨抜き踊りの「チー
ム・ブレーク・ダンス」のグレ組みである。とはいえ「ブレークダンス組」もデタラメ
なダンスとはいえ、となりの奴のダンスを気にしつつ、ぶつからないように自分の家は
まもりつつ、ある距離をとってダンスする必要がある「離見の見」の頭はある、入った
ら出られないアナーキーとしてのまとまりな奴らなのだ。
. パウリはこれを「排他原理」と名付けた。
. この「ディスコ・アトム」の後には「無」しか残らない巨大な集まりである僕らの物
理的現実世界も、つまりは「パラパラ組」に代表される規則正しい「こうすればああな
る」的な因果律の世界と、「不慮の事故」のような「まさか」の世界との二つを原型と
していると言うのである。
. 「まっ逆さまに落ちて行くのはディスコティックのデザイア(欲望)」だけでなく、
僕らの乗った尾翼崩壊した飛行機かも知れないのだ。「バチ」は必ず当たると言うもの
ではなく、当たらない事もある事に、機体が落ちないで飛ぶ事に、何時も僕らは多大な
期待を寄せるのだ。
. もう一方の「こうすればああなる」的な因果律の世界は、インド人が得意そうな「罰
当たり的発想」でもあり、実は「現代科学の原理」でもあるのだ。ゆえにシンクロニシ
ティの概念は科学的でないものを科学しようとする欲求に他ならない。科学に蹴りを入
れる原理仮説なのだ。
. 僕らが日常、体感できる「シンクロニシティ・共時性」は「夢で亀を見ていて、起き
てTVをつけたら亀が映っていた。」という一般によく体験されるものである。ユングは
この事に心理学的に注目して、その解明(亀)の彼方に「神秘のメカニズム」の原理を
探ろうとしている。
. 今これを書いている時も、TVでは松田優作の行きつけのバーに残されたボトルの番号
が命日と対応していた話しをしている。誕生日と命日が同じ人は世界中で今も増え続け
ている(Manypeople) 。
. . このように僕らの日常に頻繁の起こる「共時性」という「確立が低いのに多発する
リアル」とは一体何なのか?それをここでしばらく引っ張って考えてみたいのだ。
. パウリは生涯137という意味のない(137)数字に取付かれていたが、これは自然界
の定数は極端に小さいか巨大なのに対して1/137だけがフツーサイズである事で、パウ
リが死んだ病室の部屋番号は137号であった。入院時にそれを見た時彼は、「自分は二
度とここを出る事は無いだろう。」と直感した。
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